いつもきみがいる

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9回表、さあ、きみの出番だ。
みんながきみの魂の球を待っている。
あの直球だ!!
さあ、いこう!
炎のストッパー、きみの出番だ!!

 彼は奢るところの一切ない男だった。気が小さいながらも周囲に気遣いのできる、とても気の優しい男だった。彼は1987年のシーズンオフに広島アンデルセンで結婚披露宴を行った。僕はその仕事を手伝ったことがきっかけで、彼との縁がうまれた。

 披露宴会場で新郎新婦のなれそめをスライドで紹介するという企画があがっていた。しかし、ふたりが交際中のプライベート写真は一枚もないのだ。だから上映用の写真を前もって撮影するために、カメラマンでもない僕が駆り出されたのだ。

 その日はたしか曇り空。デートはドライブという設定で彼の愛車BMWで比治山にあがった。僕も後ろからバイクで追いかけた。展望台にあがって広島市内を眺めるという、あまりにもベタな演出のふたりを、僕は少し下からカメラに収めた。街中では信号で停まっている車内のふたりを、真正面からパチリ。マウンドと違って、デート現場をカメラに撮られることなどない彼は、ぎこちなさと照れをこらえて気持よく協力してくれた。

 新婚旅行から帰ってきた彼から僕に連絡が入った。「クリスマスの予定はありますか?」特別な予定がなかった僕は喜んで彼の誘いを受けた。クリスマスイブの夜、広島駅近くのホテルで僕らと彼ら、2組の新婚夫婦がクリスマスディナーのテーブルに着いた。彼は僕らのために、手に持つ小さなブランドもののバッグを、それぞれ2つ新婚旅行のお土産としてプレゼントしてくれたのだ。この日以来、しばらく僕のもとにあったバッグだが、じつはある想いで兄に譲り渡した。そのとき兄はひどく喜んでくれた。

 結婚後数年に渡ってシーズンオフに行われた、ある企業が主催する彼のサイン会にも僕は同行した。いま振り返ると彼の貴重品の入ったバッグを預かり彼のそばに立つ僕は、彼のマネージャー的な動きをしていたように思う。会場で彼は「サインペン、用意してありますか?」「サインしたさっきの人に失礼はなかったですか?」「次のサイン会場に間に合いますか?」など、およそ大投手が口にすることのないようなことを聞いてきた。僕は「何も心配ないですよ。だいじょうぶですから」といつも同じ返事をしていた。僕の返事を聞いて、きまって彼は安心してくれた。

 クリスマスイブの夜、彼がプレゼントしてくれたあの小さなバッグは、いま僕の兄の手で何度も補修を繰り返しながら、21年後のきょうも、兄と一緒に広島の街を歩いている。「弱気は最大の敵」「一球入魂」を胸に彼が投げた広島市民球場は、今年が最後となる。僕はその小さなバッグと一緒に、炎のストッパー・津田恒実くんに会いに行く。

クアトロプレス Vol.76「市民球場物語 思・其の伍
「彼がくれた、小さなバッグと一緒に」より

クラブクアトロ→http://www.club-quattro.com/

これは僕がクアトロプレスに書いたコラムです。
2008年9月20日、ようやく僕は彼のくれたバッグと一緒に
市民球場に行くことができました。

広島・中日23回戦(広島市民球場)
14時1分プレイボール 観客29,632人。
10対0で広島カープが圧勝。

ありがとう、津田恒実くん。
僕らのなかにいつもきみがいる。

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