赤と青、ときに青と赤

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「わたしはあなたといちばん素敵な関係でいたいの。それが恋人だったり、友人であったり、家族であったり、仲間であったりね。いつだってわたしはそれを望んでいるの。だからあなたとはそばにいても、離れていても、いつもこうして一緒にいるわ。好きよ、あなたが。わたしたち素敵な関係よ。もっとずっと素敵でいましょう。わたしが夏の終わりにあなたに言いたかったこと。」

2002年初夏、あの午後に僕は

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12年前の初夏、僕はクレイジーケンバンドの横山剣、ケンさんを路上に寝転んで211万画素のIXY DIGITALで撮っていた。広島クラブクアトロが毎月発行してるスケジュールガイド「QUATTRO PRESS」の仕事のためだった。この写真は2002年6月15日発行の「QUATTRO PRESS / VOL.06  」を撮影したものだ。

今夜ふと聞いたCKBの「スパークだ!」が、あの12年前の初夏を思い出させてくれたのだ。そして小学生、中学生、高校生、夜間大学生だったころ、20代のころのことをも…。

僕はこのいまがうれしい。
いつだって、スパークだ!スパークだ!
ありがとうケンさん。

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「スパークだ!」

CRAZY KEN BAND (クレイジーケンバンド)

作曲︰横山剣

作詞︰横山剣

夕暮れの小径 お寺の鐘が鳴る
迷い込む住宅街 今 立ちのぼる

夕餉の匂いと優しい音がする
逆光線の向こうに あの日のママがいる

なりたいものはなんだろ?
僕にもなれるかな?
宇宙飛行士 レーサー オリンピック選手

なりたい自分になれなくても
悩んだあの日を愛せる今が嬉しい

泣いても笑っても 時間は
前にしか進まない だからこの瞬間を
もっと強烈に もっと鮮やかに
「スパークだ! スパークだ!」と
自分を励ました

やり残したことはなんだろ?
まだ間に合うのかな?
ひとつだけでもいいから
やり遂げてみたいな

レースの途中で邪魔されても
憎んだあの日を許せる今が愛しい

泣いても笑っても 時間は
前にしか進まない だから思い出を
もっと大切に ずっと大切に
したいよね したいよね
だけど今は振り向かず
「スパークだ! スパークだ!」と
自分を励ました

ありがとうの一筆を

slonecinema

タカノ橋「夢売劇場・サロンシネマ」の閉館(移転)がいよいよ今週末の8月31日(日)に迫ってきました。

そのプレミアムグッズ(!?)として一筆箋(17cm×7.5cm)が登場しています。この表紙も先週ご紹介させていただいた「エンドマーク」と同じく、僕が撮影した写真を使っていただきました。ありがたいことです。撮影した2012年当時、サロンシネマ前の通りには「タカノ橋新地」の看板がありましたが現在は撤去されています。覚えていますか…? 

この一筆箋、タカノ橋「夢売劇場・サロンシネマ」の思い出として何も書かず、どこにも送らずに手元においておきたいですね。使い方に反していますがw 詳しくは同館にお尋ねくださいね。なおいまラストピクチャーショーの一環として「ジャック・タチ映画祭」ほかが上映されています。

<サロンシネマ>
http://www.saloncinema-cinetwin.jp/

夏にエンドマークを

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今年の広島の夏空は十分な出来じゃないけど、夏の終りには僕らに忘れる事のない思い出を届けてくれようとしている。別れの時をちょっとせつなくて、やるせない映画を一緒につくるように。

8月31日でタカノ橋サロンシネマ1.2が閉館(移転)となる。全国に名を馳せる名劇場がいよいよ鷹野橋(広島市中区大手町五丁目)とお別れするときがやってきた。

このマンスリー・シネマ・クリップ「End Mark」No.352(発行:サロンシネマ / 写真上)は、閉館を告げる記念の号となった。光栄にも表紙に僕が撮影した写真を使っていただいた。とても、とても、ありがたくて。2012年5月31日に撮影して翌6月のクアトロプレスで使用した写真だ。僕は一人であの日の昼から夕方、そして夜になるまでずっとタカノ橋新地で撮影したことをいまでもよく覚えている。

さらに、いま配布中の「クアトロプレス」の最新号Vol.148(発行:広島パルコ・広島クラブクアトロ / 写真下)ではサロンシネマ・住岡正明総支配人を取材させていただき、表紙と見開きの撮影も同時に行った。住岡さんと僕が知り合ってもう30年になるんだなぁ。僕のコラムも読んで見てください。夏の空の下で「エンドマーク」と「クアトロプレス」とが繋がったことがとてもうれしい。

夢売劇場・タカノ橋サロンシネマ、さよならよりも、ありがとう。

<二誌の表紙は同じ場所、同じレンズで撮影。写っている通りもまったく同じなのですが、一カ所だけ大きく違う箇所があります。二誌を手に取って見つけてみてくださいね。>

 

 

日曜の午睡、それからの時間

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台風が去ったあとの通りに広がる夏の明るい午後を、ブラインドで遮った部屋で四時間近く僕は眠っていた。午睡というには長い時間を終えて目覚めると、すでに日曜の夜が始まっていた。

いま二つの部屋の窓をすべて開放していると、夏の夜風が部屋を通り過ぎていく。スーパームーンが輝く夜空を眺めることもできる。その時間が好きなラジオプログラムとともにあるならば、それはとても幸運な夜だ。今夜がその時間だった。

プログラムが始まって僕はまずコーヒーを淹れた。いつもの窓側の椅子に深く身を預けゆっくりとマグに入ったブラジルを口にした。身体の奥底にゆっくり広がるカフェインと鼻孔をくすぐる香りが、リオの裏通りの散歩に誘った。ラジオからはバーのカウンターでNYで活躍するトランぺッターとナヴィゲーターの、ジャズの話題に興じている声が届いてくる。時折クルマが通り過ぎていく。歩いている人の話し声が、街路樹を伝い三階のこの部屋にあがってくる。そのすべての音がSEとなって、それは僕の中でプログラムの一部となる。

僕はこうして日曜の午後から夜を過ごしている。きみはいまどんな時間を過ごしているのだろうか。

Sometime, Somewhere, Somehow / Takuya Kuroda

 

 

あの頃の僕がここにいる

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 台風8号は強い雨を伴って沖縄から北上。九州をなぞりながら中国地方を逸れ、いまは東海地方を進んでいるようです。雨の国道をクルマで走っているときなど、僕はふと遠いあの頃の、こんなことを思い出すことがあります。

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 九州。大分、別府港に着いたフェリーから彼はバイクで降り立った。免許を取って初めてのロングツーリングの目的地に与論島を選んでいたのだ。一夜を要した最初の航路を終え、ようやくここから陸路のツーリングが始まる。昨夜広島港を出るときから降っていた雨はまだ降り続いていた。それでも五月の午前5時の朝は既に白く明るかった。ブルーと白のヘルメットと革手袋、黄色のレインスーツとカバーをかけたブーツという彼はフェリーターミナルからゆっくり国道に出て、350キロ先の鹿児島新港を目指した。

 五月の連休ということもあってフェリーには数十台のバイクが乗っていた。大半がマスツーリングあるいはタンデムのようで、ソロツーリングは彼ひとりだけだ。みんな最初は九州を南下するルートを走り、途中大きな分岐路で小さな集団が内陸に向かって逸れてゆく。さらに南を目指す彼は、1時間もすると運転に慣れてきてツーリングの楽しさの入り口に立ったような気分になっていた。

 反対車線から走ってくるバイクのライダーがピースサイン送ってよこす。このサインは、ライダー同士がすれ違う一瞬に、お互いの旅の安全とバイクで走ることができる喜びを無言で連帯、共有する一瞬なのだ。いま写真を撮ってもらうときのピースサインとはまったく別だ。左手でつくったピースサインを裏返し、左の頬あたりに延ばして、ピースした手の甲を近づいてくる反対車線のライダーに向けるのだ。長い集団となってツーリングしているライダーたちとすれ違う時もずっとピースサインをしたままだ。

 長距離を走るために彼はカセットレコーダーを持ってきていた。いつも取材で使用しているもので、文庫本をひと回り大きくした二冊分ほどのSONYのカセットレコーダーだ。それをタンクバッグの中にしまい込み、カセットテープから流れてくる音楽はモノラルのイヤホンを使ってヘルメットの中の左耳と繋がっていた。別府港を出てから2時間が過ぎると、それまでシールドをたたく大きな雨粒の音が静かになってきた。彼はヘルメットの中で曲に合わせて大声で歌っていた。

 内陸を走っていた片側一車線の国道は海に出た。後方に流れていく景色と一緒に彼の声も流れ、消えていく。時速60キロ、新しい世界が途切れる事なくやってくる。その新しい時間と一緒に走っていく。彼は歌う。彼はいま自分と語り合っているのだ。

 明るさを取り戻そうとしている光、乳白色の空、湿度をたっぷりと含んだ水の匂い、むき出しの身体を撫で過ぎてゆく風。国道を南下するライダーは「2000トンの雨 / 山下達郎」とともにあった。そして、一人じゃなかった。

<Photo  by dorado / 55mph Magazine : Image>

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 この曲には「僕は今日もひとり~」というキーとなる歌詞が繰り返されます。広島を出て九州を走るソロライダーの彼は、途中までこの歌詞をトレースしているかのようでした。それが雨脚も弱くなりやがて雨も上がって「2000トンの雨」を聞きながら一緒に歌っていた彼、僕はいつしか一人じゃなかったのです。

 イメージ写真はこの想い出と同時代にYAMAHA発動機から発行されていた「55mph」という雑誌の1ページです。好きな雑誌をデスクの上で撮ったこの写真を使用しました。

その木曜の夜は夏に続いている

20140626

雨の季節が始まってから二週間が過ぎた木曜日。その夜は湿度を含んだ大気が緑の街をすっぽり包んでいた。

 夜が始まった待ち合わせの場所に彼女は僕より先に着いていた。僕は敢えて誰もが一度は待ち合わせの場所に選んだことがあるであろうそこを選んでいた。なぜなら、新しいその夜のふたりの時間の始まりは、どこにでもよくある日常としたかったのだ。ふたりは僕が大切にしている店に向かった。

 そこはいつも通りまったく音もない清らかな静寂さに包まれていた。何度来ても、霧の中を彷徨いながら遠くのほのかな灯りをたよりにたどりついたかのような安堵感に満たされる店なのだ。はじめて訪れた彼女は店主の品のある穏やかな笑顔と、ほの暗い灯りの佇まいをとても喜んでくれた。

 この日の客はめずらしく僕らだけだった。ときおり店主夫妻と会話を交えながら、ふたりのどこにでもよくある日常が、少しずつゆっくり、ゆっくりと日常を超えていった。

 「わたし、次に来ようとしてもひとりじゃ来れないわ。だってここがどこにあるのかわからないもの」

 たしかに大きな看板があるわけでもなく、彼女の周りで答えてくれる人を探すのは難しいかもしれない。僕はここまでの道を説明しはじめた。すると彼女は僕の言葉を遮って、きれいな笑みをたたえたながらささやいた。

 「説明しないでください。わたしは知らなくていいことにします。だからあなたが連れてきてください」

 六月は人が穏やかに濡れる美しい季節だ。まるで美が空から降り注ぎ大通りの樹々の緑を豊かにするように。そして幻惑の夏を迎えるためにある。

<Photo and handwriting by dorado : Image>
ペリカンで書いたこの文は、たしかマドンナが過去に語ったか、あるいは彼女の歌った歌詞の一節だったと思います。何年か前に僕が書いてそれを写真に撮っていたものです。本文とは関係のない、あくまでもイメージです。

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きょうからブログを再開します。じつはブログを止めた訳ではなく、昨年の秋から大量のスパムによる障害で更新できずにいました。その間、facebookをメーンに短文のメッセージと写真を更新していました。ようやくトラブルが解消できたので、facebookとは違った世界をアップデートしていこうと思っています。このエントリーが再開のはじまりです。いまとても懐かしくて新鮮な気持ちです。やっぱりブログはいいなぁって思っています。

ブログをはじめて10年が経過しました。言葉と写真で自由に僕の世界を表現できるdorado radioです。更新は毎日ではありませんがおもむくままに。どうぞよろしくお願いします。

iPhone5はヌードがいちばん美しい。

僕は数ヶ月前からiPhone5のケースを外して使っている。ケースやバンパー装着はデフォルトという考えを排除してみたら、僕の生活スタイルとどこか似ていることに気付いた。

分厚い洋書のカヴァーを外すと、そこには布製本のとても美しい書籍が現れる。文庫本も書店でかけてくれるカヴァーを外し、さらに文庫本のカヴァーも外す。すると気持ちのいい、やさしい手触りの一冊の本が手にぴったり馴染んでくれる。

すべてのカヴァーの多くは、安全、安心、便利などという目的の下に存在している。そこをすべて排除して一定のリスクを伴いながら、ヌードと付き合うことはとても爽快だ。

カメラのショルダーストラップは使わない。財布ではなくマネークリップ。バッグは努めて持たず、ジャケットの内ポケットにペンとA4の紙を2枚ほど。小さな雨くらいなら傘はもたない。

こうして数十年になるが、なにひとつ決定的に困ったことはない。安全、安心、便利は、僕の暮らしではあまり重要ではないという、ひとつの結論めいた自身の分析に落ち着いた。

雨の土曜日、いま僕はそんなことをぼんやり考えている。

100枚の名刺と100人の友達、そして彼女の笑顔

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銀座・伊東屋さんの「私と伊東屋の思い出」募集に、僕は7月10日の締め切り日当日、しかも締め切り時間直前の2時間前に応募していました。応募概要と経緯は省略しますが、昨日、僕の名前が金箔で入った、ネイビーブルーの布張り製本のすてきな厚いノートブック(A5サイズ)が伊東屋さんから送られてきました。

この思い出は忘れないように、いつかの機会に文字にしておこうと思っていたところ、伊東屋さんのこの募集を知って急いで書き留めてみたものです。あくまでも僕の人生の思い出としてね。30歳のある時期の思い出をこうして記すことができた僕は、いま笑顔でいます。

公開をためらいますが、まあ、30歳当時のアオイ僕として読み流してください。

「100枚の名刺と100人の友達、そして彼女の笑顔。」

 冬の季節が始まろうとしていたその日の午後遅く、僕は彼女とコーヒーショップで待ち合わせをした。
 
 彼女はコーヒーを一口飲んだあと「わたし、じつはいいアイディアがあるの。辰彦さん、名刺を作らない?」と明るい笑顔で言った。じつはそのときの僕は30歳を目前に、7年勤めていた仕事を辞めて、三日後には沖縄行きが決まっていた。写真撮影をするという言い訳がましい理由をつけて、約一年、南の島で自由な時間をあそんで過ごそうとしていたのだ。その沖縄で僕が出会うであろう新しいたくさんの友達のために渡す名刺があればいいねと、彼女が提案してくれたのだ。生まれて初めてのどこにも属さない個人の名刺だ。思いもよらなかった彼女のアイディアに僕はうれしくなった。コーヒーを飲み終えてすぐに僕らはその足で銀座の伊東屋をたずねた。

 そのコーナーにはたくさんの名刺のデザインサンプルが用意されていた。どのデザインもすてきだった。目移りしてしまうほどだった。紙はどれにしようか。印刷する色は何色がいいか。そんなことを二人で相談しながらデザインを検討していった。メーンビジュアルがあるといいねと、二人の考えが一致した。ほどなく、それは日本地図に決まった。彼女の暮らす街と僕が旅立とうとしている街。そして僕がこれから訪れる沖縄の距離が視覚でわかることが二人にとって重要だった。

 横位置の白いミラーコート紙の左半分の中央に、ほんの小さく塗りつぶした日本地図をアイコンのようにレイアウトした。地図のすぐ外側には、TOKYO、HIROSHIMA、RYUKYU ISLANDの三つを記した。右側に現地の住所と僕の名前をすべてイタリックのアルファベットでいれた。電話番号はなかった。印刷は一色、色はネイビーブルー。すべてのデザインが完成して、担当の方に100枚をお願いして僕らはお店を後にした。

 三日後、僕は沖縄にいた。特別に何かをする訳ではない曖昧な時間が過ぎていく。何せこれから一年近くもいるのだから急ぐことはなかった。沖縄暮らしが二週間を過ぎたころのある日、僕の住むアパートの郵便ポストに小さな小包が入っていた。部屋に入って開くと、あのとき伊東屋で注文した箱に入った名刺とポストカードが入っていた。まず名刺を確認した僕はその出来映えに大いに満足した。そしてポストカードに目を通した。それは万年筆を使い、ネイビーブルーのインクで書かれていた。
 
 「曇り空の東京です。バイトの途中で強引に用事を作って外出することができたので、さきほど伊東屋さんで名刺を受け取ってきました。そしていまコーヒーショップの丸いテーブルの椅子に座って書いています。この名刺をわたしはとても気に入っています。辰彦さんがこの名刺を100枚使い終わったら、あなたには100人の友達ができているのね。その時、わたしはあなたの笑顔を想像することをたのしみます。」 

 それから半年も経たないうちに100枚の名刺は新しい友達100人に引き合わせてくれた。はたして彼女には僕のどんな笑顔が想像できたのだろうか。いまもなお僕は確かめることができないままだ。

 あのときのふたりは、夏の日焼けが秋の訪れとともに少しずつ薄くなってゆき、シェットランドのセーターに袖を通す頃には、すっかり日焼けは消えていた…そんな関係だったのかもしれない。