8月、それは残照の季節だ。だからその色は黄金色。とはいえ、輝きはすでにどこか陰りが見え隠れする。太陽の下、あらゆる生命が本当にいきいきとして輝けるのは6月と7月だ。8月の黄金色には、燃え立つような明るさの代わりに、燃え尽きたような、焦げてしまったようなニュアンスがある。
夏の終わり、はや秋の訪れを予感させる侘しさや寂しさのニュアンス。樹々や草花、風や空気といった自然の中にすら、私はもう幾分か疲れの色を見出す。あるいはどこか殺伐として、暴力的で。乾いたような何かを。
text by Pierre Gagnaire.
「Esquire 08 」
Esuquire8月号、巻頭レギュラーコラムの一部を抜粋したものだ。
とてもすてきなコラムだ。
梅雨が明けたきょう、僕はこのコラムを読んで一瞬目眩がした。
いま7月も中旬を過ぎて下旬に向かう。次にはもう8月がそこにあるのだ。
不覚にも、ただ、ただ、僕は焦燥感を抱いた。
こんな感じ、いつ以来だろうか?
夜になったいま僕は「わたしの好きな季節は晩夏なの。」
とほくそ笑んだひとりの女性を思い出す。
その女性とはじめて会ったのはたしか7月のちょうど今頃だ。
女性は僕の親しい友人の彼女だった。
とてもなかのいいお似合いのふたりだったが
何年か後にそれぞれ別な人と結婚してしまった。
ふたりはいまどうしているだろうか。
風の便りすらもない。
秋の季節が始まったころ、
僕と彼女は銀座の伊東屋に一緒に出向いて名刺をオーダーした。
僕がオキナワでの生活を始めるための名刺だった。
光沢のあるまっ白い紙にネイビーの文字。
それにオキナワの距離感をみせるために日本地図をレイアウトした。
デザインをすませた僕はそのままオキナワにむかうため、
東京に暮らす彼女がオキナワへのデリバリーを担当してくれた。
出来上がりまでの約3週間の間、彼女は僕に何通ものポストカードと手紙を送ってきてくれた。それは毎日続いたり、1週間に1通であったりして、僕はそれを楽しみにしていた。ある日のポストカードと手紙にはこんなことが書かれていた。
「元気にしていますか? いまアルバイト先の会社から用事で外出してカフェの席でこのポストカードを書いています。きょう、東京は雨です。」
「このポストカードはあなたの好きなON SUNDAY’Sで買ったものです。」
「夜に書いた手紙を朝になって読むととっても恥ずかしい。でも私は勇気を出してこれからポストに投函しにいきます。」
「100枚の名刺を送ります。あなたはこの名刺を手渡すごとにその数だけ友人が増えるのね。」
きょうの午後、梅雨明けのニュースに沸き、夕方に焦燥感を抱いた僕です。夜になっていろんなことを思い出しているうちに、8月は(も)流れるままに身も心も委ねようと結論したのです。なんといっても黄金=doradoですから。