あの頃の僕がここにいる

20140710

 台風8号は強い雨を伴って沖縄から北上。九州をなぞりながら中国地方を逸れ、いまは東海地方を進んでいるようです。雨の国道をクルマで走っているときなど、僕はふと遠いあの頃の、こんなことを思い出すことがあります。

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 九州。大分、別府港に着いたフェリーから彼はバイクで降り立った。免許を取って初めてのロングツーリングの目的地に与論島を選んでいたのだ。一夜を要した最初の航路を終え、ようやくここから陸路のツーリングが始まる。昨夜広島港を出るときから降っていた雨はまだ降り続いていた。それでも五月の午前5時の朝は既に白く明るかった。ブルーと白のヘルメットと革手袋、黄色のレインスーツとカバーをかけたブーツという彼はフェリーターミナルからゆっくり国道に出て、350キロ先の鹿児島新港を目指した。

 五月の連休ということもあってフェリーには数十台のバイクが乗っていた。大半がマスツーリングあるいはタンデムのようで、ソロツーリングは彼ひとりだけだ。みんな最初は九州を南下するルートを走り、途中大きな分岐路で小さな集団が内陸に向かって逸れてゆく。さらに南を目指す彼は、1時間もすると運転に慣れてきてツーリングの楽しさの入り口に立ったような気分になっていた。

 反対車線から走ってくるバイクのライダーがピースサイン送ってよこす。このサインは、ライダー同士がすれ違う一瞬に、お互いの旅の安全とバイクで走ることができる喜びを無言で連帯、共有する一瞬なのだ。いま写真を撮ってもらうときのピースサインとはまったく別だ。左手でつくったピースサインを裏返し、左の頬あたりに延ばして、ピースした手の甲を近づいてくる反対車線のライダーに向けるのだ。長い集団となってツーリングしているライダーたちとすれ違う時もずっとピースサインをしたままだ。

 長距離を走るために彼はカセットレコーダーを持ってきていた。いつも取材で使用しているもので、文庫本をひと回り大きくした二冊分ほどのSONYのカセットレコーダーだ。それをタンクバッグの中にしまい込み、カセットテープから流れてくる音楽はモノラルのイヤホンを使ってヘルメットの中の左耳と繋がっていた。別府港を出てから2時間が過ぎると、それまでシールドをたたく大きな雨粒の音が静かになってきた。彼はヘルメットの中で曲に合わせて大声で歌っていた。

 内陸を走っていた片側一車線の国道は海に出た。後方に流れていく景色と一緒に彼の声も流れ、消えていく。時速60キロ、新しい世界が途切れる事なくやってくる。その新しい時間と一緒に走っていく。彼は歌う。彼はいま自分と語り合っているのだ。

 明るさを取り戻そうとしている光、乳白色の空、湿度をたっぷりと含んだ水の匂い、むき出しの身体を撫で過ぎてゆく風。国道を南下するライダーは「2000トンの雨 / 山下達郎」とともにあった。そして、一人じゃなかった。

<Photo  by dorado / 55mph Magazine : Image>

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 この曲には「僕は今日もひとり~」というキーとなる歌詞が繰り返されます。広島を出て九州を走るソロライダーの彼は、途中までこの歌詞をトレースしているかのようでした。それが雨脚も弱くなりやがて雨も上がって「2000トンの雨」を聞きながら一緒に歌っていた彼、僕はいつしか一人じゃなかったのです。

 イメージ写真はこの想い出と同時代にYAMAHA発動機から発行されていた「55mph」という雑誌の1ページです。好きな雑誌をデスクの上で撮ったこの写真を使用しました。