iPhone5はヌードがいちばん美しい。

僕は数ヶ月前からiPhone5のケースを外して使っている。ケースやバンパー装着はデフォルトという考えを排除してみたら、僕の生活スタイルとどこか似ていることに気付いた。

分厚い洋書のカヴァーを外すと、そこには布製本のとても美しい書籍が現れる。文庫本も書店でかけてくれるカヴァーを外し、さらに文庫本のカヴァーも外す。すると気持ちのいい、やさしい手触りの一冊の本が手にぴったり馴染んでくれる。

すべてのカヴァーの多くは、安全、安心、便利などという目的の下に存在している。そこをすべて排除して一定のリスクを伴いながら、ヌードと付き合うことはとても爽快だ。

カメラのショルダーストラップは使わない。財布ではなくマネークリップ。バッグは努めて持たず、ジャケットの内ポケットにペンとA4の紙を2枚ほど。小さな雨くらいなら傘はもたない。

こうして数十年になるが、なにひとつ決定的に困ったことはない。安全、安心、便利は、僕の暮らしではあまり重要ではないという、ひとつの結論めいた自身の分析に落ち着いた。

雨の土曜日、いま僕はそんなことをぼんやり考えている。

100枚の名刺と100人の友達、そして彼女の笑顔

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銀座・伊東屋さんの「私と伊東屋の思い出」募集に、僕は7月10日の締め切り日当日、しかも締め切り時間直前の2時間前に応募していました。応募概要と経緯は省略しますが、昨日、僕の名前が金箔で入った、ネイビーブルーの布張り製本のすてきな厚いノートブック(A5サイズ)が伊東屋さんから送られてきました。

この思い出は忘れないように、いつかの機会に文字にしておこうと思っていたところ、伊東屋さんのこの募集を知って急いで書き留めてみたものです。あくまでも僕の人生の思い出としてね。30歳のある時期の思い出をこうして記すことができた僕は、いま笑顔でいます。

公開をためらいますが、まあ、30歳当時のアオイ僕として読み流してください。

「100枚の名刺と100人の友達、そして彼女の笑顔。」

 冬の季節が始まろうとしていたその日の午後遅く、僕は彼女とコーヒーショップで待ち合わせをした。
 
 彼女はコーヒーを一口飲んだあと「わたし、じつはいいアイディアがあるの。辰彦さん、名刺を作らない?」と明るい笑顔で言った。じつはそのときの僕は30歳を目前に、7年勤めていた仕事を辞めて、三日後には沖縄行きが決まっていた。写真撮影をするという言い訳がましい理由をつけて、約一年、南の島で自由な時間をあそんで過ごそうとしていたのだ。その沖縄で僕が出会うであろう新しいたくさんの友達のために渡す名刺があればいいねと、彼女が提案してくれたのだ。生まれて初めてのどこにも属さない個人の名刺だ。思いもよらなかった彼女のアイディアに僕はうれしくなった。コーヒーを飲み終えてすぐに僕らはその足で銀座の伊東屋をたずねた。

 そのコーナーにはたくさんの名刺のデザインサンプルが用意されていた。どのデザインもすてきだった。目移りしてしまうほどだった。紙はどれにしようか。印刷する色は何色がいいか。そんなことを二人で相談しながらデザインを検討していった。メーンビジュアルがあるといいねと、二人の考えが一致した。ほどなく、それは日本地図に決まった。彼女の暮らす街と僕が旅立とうとしている街。そして僕がこれから訪れる沖縄の距離が視覚でわかることが二人にとって重要だった。

 横位置の白いミラーコート紙の左半分の中央に、ほんの小さく塗りつぶした日本地図をアイコンのようにレイアウトした。地図のすぐ外側には、TOKYO、HIROSHIMA、RYUKYU ISLANDの三つを記した。右側に現地の住所と僕の名前をすべてイタリックのアルファベットでいれた。電話番号はなかった。印刷は一色、色はネイビーブルー。すべてのデザインが完成して、担当の方に100枚をお願いして僕らはお店を後にした。

 三日後、僕は沖縄にいた。特別に何かをする訳ではない曖昧な時間が過ぎていく。何せこれから一年近くもいるのだから急ぐことはなかった。沖縄暮らしが二週間を過ぎたころのある日、僕の住むアパートの郵便ポストに小さな小包が入っていた。部屋に入って開くと、あのとき伊東屋で注文した箱に入った名刺とポストカードが入っていた。まず名刺を確認した僕はその出来映えに大いに満足した。そしてポストカードに目を通した。それは万年筆を使い、ネイビーブルーのインクで書かれていた。
 
 「曇り空の東京です。バイトの途中で強引に用事を作って外出することができたので、さきほど伊東屋さんで名刺を受け取ってきました。そしていまコーヒーショップの丸いテーブルの椅子に座って書いています。この名刺をわたしはとても気に入っています。辰彦さんがこの名刺を100枚使い終わったら、あなたには100人の友達ができているのね。その時、わたしはあなたの笑顔を想像することをたのしみます。」 

 それから半年も経たないうちに100枚の名刺は新しい友達100人に引き合わせてくれた。はたして彼女には僕のどんな笑顔が想像できたのだろうか。いまもなお僕は確かめることができないままだ。

 あのときのふたりは、夏の日焼けが秋の訪れとともに少しずつ薄くなってゆき、シェットランドのセーターに袖を通す頃には、すっかり日焼けは消えていた…そんな関係だったのかもしれない。