いよいよ今週の日曜日です。

130128a.jpg

次の日曜日の節分の日、正午より。
僕がこれまでに撮影していた写真を使用してデザイン、制作した、レコードジャケットを展示します。所有しているすきなジャズのアナログレコードジャケットのカヴァーということですね。作品はオリジナルアルバムへの、僕からのオマージュにもなっています。上の写真はフレームに入った状態です。

アルバムジャケットのオモテ面をデザイン。
仕上がりはA3サイズとA1サイズです。A3は美しい紙にプリントしています。写真用の印画紙ではないので紙の独特の高級感に加えてとても味わいがあります。A1は2点(アルバム原寸)〜4点のアルバムをレイアウトし、万年筆を使ったハンドライティングの英文コピーを添えてデザインしたポスターです。それぞれフレームに収めています。自分のお部屋、ショップのインテリアやプレゼントなどにおすすめです。

当日はオリジナルアナログレコードを持参して流します。
デザインのもとになったブルーノートなどのジャケットデザインはどれも秀逸ですよ。こちらも手に取ってご覧くださいね。僕のデザインよりおスキなジャケットもあるはず…。 だからといって僕のジャケットも、ワルクナイんです〜(^^;;

会場は中区のじぞう通り。
友人のイタリアンレストラン『イルヴェッキオ』です。昨年夏、第一回目のdd Collectionとしてアクセサリーの展示会を開催した場所です。なお当日はレストランの一般営業はしていません。

18時からはパーティースタイルで。
イルヴェッキオの素敵な空間でおいしいイタリアンとワインやカクテルなどをたのしみましょう。日曜の夜とジャズとワイン、いいなぁ〜♪

ご参加は「展示会のみ」「展示会&パーティーのみ」「両方」 などご自由です。一日限りなので、もしご予定がうまっていなければぜひお越しくださいね。それではよろしくお願いします。

<展示会>
時間 : 12時〜18時
入場 : 無料
場所 : イルヴェッキオ
電話 : 082-569-8689

<展示会 & パーティー>
時間 : 18時〜21時
会費 : 3,000円(1名)
場所 : イルヴェッキオ
電話 : 082-569-8689

いつかの広島 / 2

130123a.jpg

夏の夕暮れ、東京からやってきた男友達と二人で尾道を散歩していてふとこのお店に目が止まりました。お店の向こうの緑は対岸の向島です。尾道と向島の間は尾道水道で毎日たくさんの船舶が航行しています。この先尾道に何度も行くだろうけど、だからといってお店には立ち寄ることはないんだろうな、きっと…。こういう景色と時間が好きな僕なのです。

いつかの広島 / 1

130122a.jpg

こんなカテゴリーをもとに、過去に僕が撮影していた写真のアーカイブを時々アップしていきますね。

2009年3月2日。この日、広島クラブクアトロが発行する『クアトロプレス』の取材のために、広島県庁にお願いして、MAZDA RX8 水素ロータリーをご担当者と僕の二人が乗車して市内を走らせていただき、この広島平和記念公園内にある広島平和記念資料館(設計・丹下健三)前で撮影させていただきました。

RX8は2012年6月22日をもって生産終了しましたが、いまとなってはこの場所で撮影できた事も含めて貴重な一枚となりました。

この写真のアスペクト比は4:3。なぜ4:3を選んでいたのか思い出せない。最近は16:9、もしくは1:1が多い。

僕が朝に思うこと

130109a.jpg

連日、朝起きると南向きの窓の外が明るくて、
僕はすぐにブラインドを上げて窓を開けるのです。
やわらかな風はほんの少し冷たいけど、
あたたかい太陽の陽射しを身体に浴びて「春がきた」と思わずつぶやくのです。
冬のまっただ中だというのにね〜(^^)

この写真の球場はいまはもう消えてしまったけど、
ベンチはまるでチューリップの花壇のようです。
春を感じませんか。

そこにはきみがいた / 1

130106b.jpg

それはいまから50年近く前のことだ。書いていきながら記憶の断片を繋いでみよう。
ーーーーーーーーーー

 小学六年生だった僕はカナダのサスカチュワン州に住む同級生の女性と文通をしていた。月刊誌に毎月載っている海外のペンパル募集のページで彼女を見つけて僕が最初に手紙を出したのが始まりだった。当時は個人情報などという言葉さえもなく、だれもがだれかの情報を大切に扱い、その恩恵に浴し、そうすることがあたりまえの時代だったのだ。事の善し悪しは別としても、住所、氏名、年齢、家族構成、職業、身長、体重、趣味などを実名で公開し、お互いに利用する事は、未知への興味と期待と冒険に溢れていたと言い返すことも出来るだろう。

 この文通は半年くらい続いた。当時文房具店にはエアメール専用の封筒と便箋を売っていた。ごく薄い青色の紙はペラペラでとても薄くて向こうが透けてしまうが、破れにくいものだった。海外向けの郵便料金はとても高いのでできるだけ安くするために薄い紙を使用していたのだ。僕の英語の力量はどの程度で、はたしてどんな内容だったのか、いまではまったく思い出せない。ほんとに英語で書いたのか疑ってしまうほどだ。
 
 僕らが交換した手紙は数えるほどだった。ポストに投函してから相手に届くのは一週間以上、いや一ヶ月くらいだったかもしれない。はっきりと覚えていないのだ。そんなある日、彼女から届いたエアメールには一枚のカラー写真が同封されていた。スタイルがとてもよくて、まるで大人としか思えないようなブロンドヘアーの彼女が広いリビングルームで家族と一緒に写っていた。僕はドキドキした。そこにはまるで映画のような世界が写っていたのだ。彼女が僕のペンパルなのだ。何かの間違いじゃないかとも思った。便箋には僕の写真も送って欲しいと書いてあった。うれしくなった僕は、さっそく母が編んでくれた、胸のぐるりに白い雪の結晶が編み込まれた藤色のタートルネックのセーターと、膝が薄くなった青いコール天(コーデュロイ)のズボンを履き、愛犬スピッツのマリちゃんと一緒に映っている一枚の写真を送ることにした。それは写真を撮影することが好きだった父が撮っていてくれた白黒写真だっだ。
 
 彼女からいつもより早くエアメールが届いた。ワクワクしながら開封して読んでみたら、近況報告など一切なく私(彼女)の写真を送り返して欲しいと書いてあった。最初はどういう意味か分からなかったのだが、しばらくして彼女は写真の僕を見て気に入らなかったのだろうと思った。欧米人にくらべて日本人は同い年でも子供っぽく見えてしまう。しかも僕は同級生の中でも背が低くて幼くみえる。僕をもう少し大人な男と思っていたに違いない彼女は、あまりにも自分と違った幼い僕を見て止むにやまれぬ思いだったのだろうと、幼いながらも僕は潔くそう理解することにした。ちょっとだけ時間がかかったけど。僕は彼女の望み通りその映画の世界のようなカラー写真を送り返して、僕らの半年のペンパルの関係は終わった。僕がいよいよ小学生に別れを告げ、春から中学生になろうとしていた初春だった。

ーーーーーーーーーー

 こういう小学生だった僕は彼女の他にも前後して、国内のペンパルと手紙をやり取りしていて、まだ見ぬ町に暮らす顔さえも知らない誰かに手紙を書いて送るということのたのしみと、少しの憂鬱も知った。

 この小学六年生の思い出を書き終えて、机の引き出しにしまってあった捨てる理由もないいくつかの手紙を読み返してみた。どれもおよそいまから20年近く前に届いた僕宛の手紙だ。たまたま年始に振り返ってみることができた手紙には、ブルーやブラックのインクで綴られた僕らがいた。それはあまりにもせつない。さしたる理由はないけど、このどうしようもないせつなさを数編書いてみようと思っている。

Memo:
この写真はたしか小学四年生の夏休みころの僕だ。青森と函館を結んでいた青函連絡船の船上だ。昭和63年、1988年に3月13日の青函トンネルの開通にともない同日、青函航路は廃止となった。

感謝とともに 201301010703

130102a.jpg

広島市は穏やかな元日の朝を迎えました。日の出前、早朝の歩道橋の上には新しい風が吹き抜けていました。家族、恋人、友人、仕事仲間。大通りを過ぎる透明な風、赤く色づく西の空、絶えずカタチをかえてゆく雲、たくさんの水をたたえた川の流れ、静かな雨、緑の樹々、そして太陽。広島に暮らしていけることに感謝します。dorado radioの読者のみなさん、今年もどうぞよろしくお願いします。

“THIS PRAYER FOR THE WHOLE WORLD / BUILD AN ARK”

この曲は先ほどまで聞いていたラジオ、J-WAVE『RENDEZ-VOUS』から流れてきた曲です。石井亮さんによる選曲がいまの僕にシンクロ!僕が撮影したこの写真にメッセージとして使用させてもらいました。YouTubeでもiTunesでも。