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13日の葡萄の写真についてちょっと。この写真はiPhone4で撮影したんだけど、あらためてiPhone4はきれいに撮れることを実感。(もうすぐ発売のiPhone5はさらにきれいに撮れるらしいね。)
できるだけバッグを持たない、手ぶらでいたい僕が日頃どこかに行くときにカメラを持たないのは、このiPhoneがあるからというのも大きな理由だ。
ちなみにこのiPhone32GBにはいま1000枚ほどの写真が保存されている。できれば1000枚を超えないようにしたいのだ。ムダに写真が増えていくことに歯止めをかけておきたいという僕なりの自制心なのだ(笑)。だからときどき写真を選んでは削除している。そうしていても残しておきたい写真ばかりで削除できない。なのに、また撮る。こうして写真は増えていくのだ。悪循環。
そんなある時、保存しているだけで見ない写真も数多く混在していることに気付く。もういい。もしくは飽きる。こうして僕は削除する機会に恵まれる。読まない本や着ない服を処分するのと同様に。いつもその繰り返しだが生活にはなんの支障もないんだよね。未練を捨て、潔さを選ぼう。これはツイッターのフォロー、フォロワーのカンケイにも似ていると思う。僕は昨夜は200人くらいの方のフォローを外した。
それと写真はプリントしておくといいね。モニターでばかり見てると、気付かなかったことが見えてくるときもあるから。写真を手に取って見る。たまに撮影したその時がふっといとおしく思えてくることがあるよ。
かっこいい、たのしい、きれいな、きゅんとする、いやらしい、そんなため息の出るような写真を撮ろう〜♪
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僕にとって飽きるということはとってもポジティブなことなのだ。それは元気で自分らしく生きていることを実感できる一瞬でもあるのだ。飽きてしまうことに理由はない。そうなるものはそうなるのだから。敢えて大袈裟に言えば、飽きるときに僕の中でプチッと小さな音がする。「もうこれじゃない、次に進もう」という決意とともに革命が起きるカンジだ。僕は革命を起こさないでいるとどうしようもなく息苦しくなる。Macのデータがすべてなくなったっていい、むしろそういうアクシデントに見舞われることをどこかで期待している。
他人からお前は熱しやすく冷めやすい性格だと(僕が聞いてもないのに勝手に)いわれ続けてきた。たしかに対象によっては大いに熱しやすく冷めやすい。(でも冷めないようにする術はいくつかは知ってるつもりだけどね)祭りのように一気に熱してしまったらあとは冷めていくのみだ。それを繰りかえしながらまた次の祭りに火がつく。人生何千回も何万回も火がつくんだよ。すごいことだよ、冷めるということは次の熱に引き合わせてくれるから。そうして最期には火も絶えて灰と煙になる。土になる。そういうことだ。いいじゃないか、素晴らしい。
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