それまでフレームの中は冬へと向かう秋の季節だった。そこに、ある一つのものを加えると、それまでの世界が一変した。Bicのボールポイントペン、それはまるでゴールを駆け抜けた短距離走者のようだ。その季節はいうまでもない。いまそのものだ。
その一方で、カオが完成したと受け止めるのもおもし…。
それまでフレームの中は冬へと向かう秋の季節だった。そこに、ある一つのものを加えると、それまでの世界が一変した。Bicのボールポイントペン、それはまるでゴールを駆け抜けた短距離走者のようだ。その季節はいうまでもない。いまそのものだ。
その一方で、カオが完成したと受け止めるのもおもし…。
「さっきの夕焼け見た?」
「はい、見ました!」
「きれいだったね」
「はい、すごくきれいでした!すっごくきれいでした!」
「よかったよね」
「はい!」
「じゃあね」
「はい!」
「さよなら」
「さよなら!」
この写真の方向は北だ。左手が西になる。その西の空はさきほどまで、赤、橙、黄、青、紫の暖色、寒色がグラデーションの帯となって、大空を染めていた。
そのとき、僕は用事を済ませて夕方の大通りを歩いて家にもどっている途中、ここに差し掛かったとき女子高校生が目に入った。ふたりは自転車から降りて噴水の周りを鬼ごっこでもするように、ダンスをするかのように軽い足取りで噴水のまわりを一周した。
9月13日、夕暮れの大通り。ほんの些細な会話。
街を焦がしたあの夕焼けは僕らの胸まで焦がしていたんだ。
日曜日の昼近くになって僕はようやく目覚めた。いつもより少しだけ濃いめの二杯分のコーヒーを淹れ、窓際のテーブルでマグに入ったコーヒーを飲みながらぼんやりとあたたかい陽射しに身体を預けていた。覚醒するまでにはもうしばらくの時間が必要だった。
それから数時間が経過しただろうか。ラジオからはドビュッシーが流れていた。テーブルの上の本に影を落とすその角度は鋭角になってきていた。午後3時を過ぎたあたりなのだろう。僕はいくつかの写真集を手にとり、過去に見ていた写真をもういちど見直しながら本を買った時のことを思い出した。旅の本だけを集めたその本屋では女性店員と旅と本について語り合ったこともあった。そこは訪れるのはきまって夜の遅い時間だった。本を手にした僕は、空港のラウンジにも似た隣接のカフェでその本のページをめくるというのが好きだった。あの本屋もカフェもいまはもうない。
いま一冊の写真集をめくりながらそんなことを思い出している。
(写真集「A KA RI」FUJII TAMOTSU / リトルモア/ 2005年)
タカノ橋「夢売劇場・サロンシネマ」の閉館(移転)がい
そのプレミアムグッズ(!?)として一筆箋(17cm×
この一筆箋、タカノ橋「夢売劇場・サロンシネマ」の思い
<サロンシネマ>
http://
8月31日でタカノ橋サロンシネマ1.2が閉館(移転)となる。全国に名を馳せる名劇場がいよいよ鷹野橋(広島市中区大手町五丁目)とお別れするときがやってきた。
このマンスリー・シネマ・クリップ「End Mark」No.352(発行:サロンシネマ / 写真上)は、閉館を告げる記念の号となった。光栄にも表紙に僕が撮影した写真を使っていただいた。とても、とても、ありがたくて。2012年5月31日に撮影して翌6月のクアトロプレスで使用した写真だ。僕は一人であの日の昼から夕方、そして夜になるまでずっとタカノ橋新地で撮影したことをいまでもよく覚えている。
さらに、いま配布中の「クアトロプレス」の最新号Vol.148(発行:広島パルコ・広島クラブクアトロ / 写真下)ではサロンシネマ・住岡正明総支配人を取材させていただき、表紙と見開きの撮影も同時に行った。住岡さんと僕が知り合ってもう30年になるんだなぁ。僕のコラムも読んで見てください。夏の空の下で「エンドマーク」と「クアトロプレス」とが繋がったことがとてもうれしい。
夢売劇場・タカノ橋サロンシネマ、さよならよりも、ありがとう。
<二誌の表紙は同じ場所、同じレンズで撮影。写っている通りもまったく同じなのですが、一カ所だけ大きく違う箇所があります。二誌を手に取って見つけてみてくださいね。>
僕は自転車に乗ってファインダーも覗かないままシャッターをきった。それはたしか8年前の夏。向かい風のある日の京都だった。今年の夏はどんな風が吹くのだろうか。三日続きの祭りが終わった今夜、すこしの期待感とともにそれを心待ちにしている。
敬礼!
祈・世界平和!
願・健康長寿!
昨日、宮島に行ってきました。
たまたま「とんど」が行われおり、つい調子のって、、、。