「雨の日曜、曖昧な午後の時間。クルマがシャーッと路面を転がり通り過ぎていく。ラジオからはクラシック音楽。コーヒーを淹れるためにお湯を沸かしながらミルで豆を挽く。すべての音がこの部屋で調和して何気ない日常に凛とした気高さが薫る。一杯のコーヒーのように。」
「同じような価値観の人ときちんと向き合って語りたい。それも緩やかに。時折、激しくも。感性、創造性、知性、品性、個性、楽天性が入り混じる世界から始まる時間。春を待つ。」
「雨の日曜、曖昧な午後の時間。クルマがシャーッと路面を転がり通り過ぎていく。ラジオからはクラシック音楽。コーヒーを淹れるためにお湯を沸かしながらミルで豆を挽く。すべての音がこの部屋で調和して何気ない日常に凛とした気高さが薫る。一杯のコーヒーのように。」
「同じような価値観の人ときちんと向き合って語りたい。それも緩やかに。時折、激しくも。感性、創造性、知性、品性、個性、楽天性が入り混じる世界から始まる時間。春を待つ。」
台風が去ったあとの通りに広がる夏の明るい午後を、ブラインドで遮った部屋で四時間近く僕は眠っていた。午睡というには長い時間を終えて目覚めると、すでに日曜の夜が始まっていた。
いま二つの部屋の窓をすべて開放していると、夏の夜風が部屋を通り過ぎていく。スーパームーンが輝く夜空を眺めることもできる。その時間が好きなラジオプログラムとともにあるならば、それはとても幸運な夜だ。今夜がその時間だった。
プログラムが始まって僕はまずコーヒーを淹れた。いつもの窓側の椅子に深く身を預けゆっくりとマグに入ったブラジルを口にした。身体の奥底にゆっくり広がるカフェインと鼻孔をくすぐる香りが、リオの裏通りの散歩に誘った。ラジオからはバーのカウンターでNYで活躍するトランぺッターとナヴィゲーターの、ジャズの話題に興じている声が届いてくる。時折クルマが通り過ぎていく。歩いている人の話し声が、街路樹を伝い三階のこの部屋にあがってくる。そのすべての音がSEとなって、それは僕の中でプログラムの一部となる。
僕はこうして日曜の午後から夜を過ごしている。きみはいまどんな時間を過ごしているのだろうか。
Sometime, Somewhere, Somehow / Takuya Kuroda
台風8号は強い雨を伴って沖縄から北上。九州をなぞりながら中国地方を逸れ、いまは東海地方を進んでいるようです。雨の国道をクルマで走っているときなど、僕はふと遠いあの頃の、こんなことを思い出すことがあります。
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九州。大分、別府港に着いたフェリーから彼はバイクで降り立った。免許を取って初めてのロングツーリングの目的地に与論島を選んでいたのだ。一夜を要した最初の航路を終え、ようやくここから陸路のツーリングが始まる。昨夜広島港を出るときから降っていた雨はまだ降り続いていた。それでも五月の午前5時の朝は既に白く明るかった。ブルーと白のヘルメットと革手袋、黄色のレインスーツとカバーをかけたブーツという彼はフェリーターミナルからゆっくり国道に出て、350キロ先の鹿児島新港を目指した。
五月の連休ということもあってフェリーには数十台のバイクが乗っていた。大半がマスツーリングあるいはタンデムのようで、ソロツーリングは彼ひとりだけだ。みんな最初は九州を南下するルートを走り、途中大きな分岐路で小さな集団が内陸に向かって逸れてゆく。さらに南を目指す彼は、1時間もすると運転に慣れてきてツーリングの楽しさの入り口に立ったような気分になっていた。
反対車線から走ってくるバイクのライダーがピースサイン送ってよこす。このサインは、ライダー同士がすれ違う一瞬に、お互いの旅の安全とバイクで走ることができる喜びを無言で連帯、共有する一瞬なのだ。いま写真を撮ってもらうときのピースサインとはまったく別だ。左手でつくったピースサインを裏返し、左の頬あたりに延ばして、ピースした手の甲を近づいてくる反対車線のライダーに向けるのだ。長い集団となってツーリングしているライダーたちとすれ違う時もずっとピースサインをしたままだ。
長距離を走るために彼はカセットレコーダーを持ってきていた。いつも取材で使用しているもので、文庫本をひと回り大きくした二冊分ほどのSONYのカセットレコーダーだ。それをタンクバッグの中にしまい込み、カセットテープから流れてくる音楽はモノラルのイヤホンを使ってヘルメットの中の左耳と繋がっていた。別府港を出てから2時間が過ぎると、それまでシールドをたたく大きな雨粒の音が静かになってきた。彼はヘルメットの中で曲に合わせて大声で歌っていた。
内陸を走っていた片側一車線の国道は海に出た。後方に流れていく景色と一緒に彼の声も流れ、消えていく。時速60キロ、新しい世界が途切れる事なくやってくる。その新しい時間と一緒に走っていく。彼は歌う。彼はいま自分と語り合っているのだ。
明るさを取り戻そうとしている光、乳白色の空、湿度をたっぷりと含んだ水の匂い、むき出しの身体を撫で過ぎてゆく風。国道を南下するライダーは「2000トンの雨 / 山下達郎」とともにあった。そして、一人じゃなかった。
<Photo by dorado / 55mph Magazine : Image>
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この曲には「僕は今日もひとり~」というキーとなる歌詞が繰り返されます。広島を出て九州を走るソロライダーの彼は、途中までこの歌詞をトレースしているかのようでした。それが雨脚も弱くなりやがて雨も上がって「2000トンの雨」を聞きながら一緒に歌っていた彼、僕はいつしか一人じゃなかったのです。
イメージ写真はこの想い出と同時代にYAMAHA発動機から発行されていた「55mph」という雑誌の1ページです。好きな雑誌をデスクの上で撮ったこの写真を使用しました。
雨の季節が始まってから二週間が過ぎた木曜日。その夜は湿度を含んだ大気が緑の街をすっぽり包んでいた。
夜が始まった待ち合わせの場所に彼女は僕より先に着いていた。僕は敢えて誰もが一度は待ち合わせの場所に選んだことがあるであろうそこを選んでいた。なぜなら、新しいその夜のふたりの時間の始まりは、どこにでもよくある日常としたかったのだ。ふたりは僕が大切にしている店に向かった。
そこはいつも通りまったく音もない清らかな静寂さに包まれていた。何度来ても、霧の中を彷徨いながら遠くのほのかな灯りをたよりにたどりついたかのような安堵感に満たされる店なのだ。はじめて訪れた彼女は店主の品のある穏やかな笑顔と、ほの暗い灯りの佇まいをとても喜んでくれた。
この日の客はめずらしく僕らだけだった。ときおり店主夫妻と会話を交えながら、ふたりのどこにでもよくある日常が、少しずつゆっくり、ゆっくりと日常を超えていった。
「わたし、次に来ようとしてもひとりじゃ来れないわ。だってここがどこにあるのかわからないもの」
たしかに大きな看板があるわけでもなく、彼女の周りで答えてくれる人を探すのは難しいかもしれない。僕はここまでの道を説明しはじめた。すると彼女は僕の言葉を遮って、きれいな笑みをたたえたながらささやいた。
「説明しないでください。わたしは知らなくていいことにします。だからあなたが連れてきてください」
六月は人が穏やかに濡れる美しい季節だ。まるで美が空から降り注ぎ大通りの樹々の緑を豊かにするように。そして幻惑の夏を迎えるためにある。
<Photo and handwriting by dorado : Image>
ペリカンで書いたこの文は、たしかマドンナが過去に語ったか、あるいは彼女の歌った歌詞の一節だったと思います。何年か前に僕が書いてそれを写真に撮っていたものです。本文とは関係のない、あくまでもイメージです。
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きょうからブログを再開します。じつはブログを止めた訳ではなく、昨年の秋から大量のスパムによる障害で更新できずにいました。その間、facebookをメーンに短文のメッセージと写真を更新していました。ようやくトラブルが解消できたので、facebookとは違った世界をアップデートしていこうと思っています。このエントリーが再開のはじまりです。いまとても懐かしくて新鮮な気持ちです。やっぱりブログはいいなぁって思っています。
ブログをはじめて10年が経過しました。言葉と写真で自由に僕の世界を表現できるdorado radioです。更新は毎日ではありませんがおもむくままに。どうぞよろしくお願いします。
僕の部屋が西から斜めの光線を受けている。
光はベッドと壁に色を透過しながら影をつくる。
彼女はよく晴れた日の夕方にだけこの部屋にやってくる。
声もしない、匂いもしない。
抱きしめることもできない。
まどろみの中で僕らはしずかに息をひそめて向きあい
刹那を胸いっぱい呼吸した。苦しくなるほどに。
そして光は僕の視線をゆるやかにくぐり抜け
音もなくいつもの彼方に消えていった。
夜がやってくる前に。
僕のtumblrにアップしていた3作品が削除され、
今回、あたらしく編集した(!?)まとめ作品として再アップされていました。
『♪Don’t Explain』のシンガーはそれぞれ
Billie HolidayとNina SimoneとHelen Merrilの
バージョンだったのですが、
今回Billie HolidayのDon’t Explainが起用されています。
ぜひフルスクリーンでどうぞ。
僕は彼女とならいますぐ現実を捨てて
この夏が終わるまで逃げますよ。
え? ご興味がない?
写真はEsquireの1987年SUMMER Vol.1 No.2
(日本版創刊2号目)のページを僕がさきほど撮影したものだ。
最初の写真は第35代アメリカ合衆国大統領大統領ジョン・F・ケネディだ。
撮影は1963年の8月31日に撮影したとクレジットされていた。
いまから48年前の今日なのだ。
彼は新聞を手にシガリロ(リトルシガー)をふかしている。
禁煙などが話題にすらならない、そんな時代だったのだ。
彼、ジョン・フィッツジェラルド “ジャック” ケネディは
この年の11月22日に暗殺された。
僕がEsquireがスキ(だった)な理由のひとつはこのエディトリアルデザイン。
大胆で繊細で都会的な美しいレイアウト。そこに知性と緊張感が加わる。
アートディレクターの木村裕治さんの手によるものだ。
木村さんはこのEsquire日本版を創刊から10年間手がけられた。
このほかに僕がよく読んでいた「翼の王国」(全日空の機内紙)もそうだ。
2008年に創刊、記事がすべて横組の新聞の「朝日新聞GLOVE」では
アートディレクター木村さんの真骨頂を見た思いだ。
なおGLOVEはWEBサイトでも見る事が出来る。
The Asahin Shinbun GLOBE → GO
残念ながらEsquire日本版は2010年3月31日をもって休刊したが、
WEBでいつか復刊してくるのではと密かに期待ししている。
そのとき木村さんも一緒であってほしい。
今日はちょこっとだけ僕の好きな世界をお伝えしました。