連日、朝起きると南向きの窓の外が明るくて、
僕はすぐにブラインドを上げて窓を開けるのです。
やわらかな風はほんの少し冷たいけど、
あたたかい太陽の陽射しを身体に浴びて「春がきた」と思わずつぶやくのです。
冬のまっただ中だというのにね〜(^^)
この写真の球場はいまはもう消えてしまったけど、
ベンチはまるでチューリップの花壇のようです。
春を感じませんか。
連日、朝起きると南向きの窓の外が明るくて、
僕はすぐにブラインドを上げて窓を開けるのです。
やわらかな風はほんの少し冷たいけど、
あたたかい太陽の陽射しを身体に浴びて「春がきた」と思わずつぶやくのです。
冬のまっただ中だというのにね〜(^^)
この写真の球場はいまはもう消えてしまったけど、
ベンチはまるでチューリップの花壇のようです。
春を感じませんか。
それはいまから50年近く前のことだ。書いていきながら記憶の断片を繋いでみよう。
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小学六年生だった僕はカナダのサスカチュワン州に住む同級生の女性と文通をしていた。月刊誌に毎月載っている海外のペンパル募集のページで彼女を見つけて僕が最初に手紙を出したのが始まりだった。当時は個人情報などという言葉さえもなく、だれもがだれかの情報を大切に扱い、その恩恵に浴し、そうすることがあたりまえの時代だったのだ。事の善し悪しは別としても、住所、氏名、年齢、家族構成、職業、身長、体重、趣味などを実名で公開し、お互いに利用する事は、未知への興味と期待と冒険に溢れていたと言い返すことも出来るだろう。
この文通は半年くらい続いた。当時文房具店にはエアメール専用の封筒と便箋を売っていた。ごく薄い青色の紙はペラペラでとても薄くて向こうが透けてしまうが、破れにくいものだった。海外向けの郵便料金はとても高いのでできるだけ安くするために薄い紙を使用していたのだ。僕の英語の力量はどの程度で、はたしてどんな内容だったのか、いまではまったく思い出せない。ほんとに英語で書いたのか疑ってしまうほどだ。
僕らが交換した手紙は数えるほどだった。ポストに投函してから相手に届くのは一週間以上、いや一ヶ月くらいだったかもしれない。はっきりと覚えていないのだ。そんなある日、彼女から届いたエアメールには一枚のカラー写真が同封されていた。スタイルがとてもよくて、まるで大人としか思えないようなブロンドヘアーの彼女が広いリビングルームで家族と一緒に写っていた。僕はドキドキした。そこにはまるで映画のような世界が写っていたのだ。彼女が僕のペンパルなのだ。何かの間違いじゃないかとも思った。便箋には僕の写真も送って欲しいと書いてあった。うれしくなった僕は、さっそく母が編んでくれた、胸のぐるりに白い雪の結晶が編み込まれた藤色のタートルネックのセーターと、膝が薄くなった青いコール天(コーデュロイ)のズボンを履き、愛犬スピッツのマリちゃんと一緒に映っている一枚の写真を送ることにした。それは写真を撮影することが好きだった父が撮っていてくれた白黒写真だっだ。
彼女からいつもより早くエアメールが届いた。ワクワクしながら開封して読んでみたら、近況報告など一切なく私(彼女)の写真を送り返して欲しいと書いてあった。最初はどういう意味か分からなかったのだが、しばらくして彼女は写真の僕を見て気に入らなかったのだろうと思った。欧米人にくらべて日本人は同い年でも子供っぽく見えてしまう。しかも僕は同級生の中でも背が低くて幼くみえる。僕をもう少し大人な男と思っていたに違いない彼女は、あまりにも自分と違った幼い僕を見て止むにやまれぬ思いだったのだろうと、幼いながらも僕は潔くそう理解することにした。ちょっとだけ時間がかかったけど。僕は彼女の望み通りその映画の世界のようなカラー写真を送り返して、僕らの半年のペンパルの関係は終わった。僕がいよいよ小学生に別れを告げ、春から中学生になろうとしていた初春だった。
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こういう小学生だった僕は彼女の他にも前後して、国内のペンパルと手紙をやり取りしていて、まだ見ぬ町に暮らす顔さえも知らない誰かに手紙を書いて送るということのたのしみと、少しの憂鬱も知った。
この小学六年生の思い出を書き終えて、机の引き出しにしまってあった捨てる理由もないいくつかの手紙を読み返してみた。どれもおよそいまから20年近く前に届いた僕宛の手紙だ。たまたま年始に振り返ってみることができた手紙には、ブルーやブラックのインクで綴られた僕らがいた。それはあまりにもせつない。さしたる理由はないけど、このどうしようもないせつなさを数編書いてみようと思っている。
Memo:
この写真はたしか小学四年生の夏休みころの僕だ。青森と函館を結んでいた青函連絡船の船上だ。昭和63年、1988年に3月13日の青函トンネルの開通にともない同日、青函航路は廃止となった。
広島市は穏やかな元日の朝を迎えました。日の出前、早朝の歩道橋の上には新しい風が吹き抜けていました。家族、恋人、友人、仕事仲間。大通りを過ぎる透明な風、赤く色づく西の空、絶えずカタチをかえてゆく雲、たくさんの水をたたえた川の流れ、静かな雨、緑の樹々、そして太陽。広島に暮らしていけることに感謝します。dorado radioの読者のみなさん、今年もどうぞよろしくお願いします。
“THIS PRAYER FOR THE WHOLE WORLD / BUILD AN ARK”
この曲は先ほどまで聞いていたラジオ、J-WAVE『RENDEZ-VOUS』から流れてきた曲です。石井亮さんによる選曲がいまの僕にシンクロ!僕が撮影したこの写真にメッセージとして使用させてもらいました。YouTubeでもiTunesでも。
ムッシムパネンのポスターシリーズの最終回です。
2月にはじまりこの1月篇までの1年間で
男と女の10シーンをお届けしました。
そしていまここに終わりを迎えました。
僕はこのストーリーを写真とコピーで続けてきました。
彼と彼女の世界は、僕が個人的に想い、追い続ける
ひとつの理想の関係だったと思うのです。
心の内側が写真とコピーによって表面化した結果なのですね。
僕はこれからも追い続けていくんだろうな〜w
「男と女」Un homme et une femme / ムッシムパネンのポスター → GO
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自由でいながら、お互いをお思いやりながら、
ふたりは固い約束もないままに、一年という時間を旅してきました。
一年を経て彼女は「ときに滑稽だけどわるくない、わたしたち」と、
二人の関係を公然とさらり肯定しました。
そして男は「ふたりは、もうすでにそこにいない」という言葉とともに
いちども姿をさらすことなく、気配とせつなさだけを残して
ふたりは僕らの前から消え去っていきました。
行き先を誰にも告げることなく。
もしかするといつか何処かの街角の花屋さんで、
彼が彼女のためにスミレを手にしている姿を見かけるかもしれません。
< Violets for Your Furs.>
ふたりに微笑みとグッドラックを。
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今年もdorado radioをごらんいただきありがとうございました。
読者のみなさまに感謝します。
新しい年に元気でまたお会いしましょう。
それではどうかすこやかなよい年をお迎えください。
2012年12月31日
dorado / 土居辰彦
シワが付いたね。
アイロンをかけよう。
ほら、とってもお似合いだよ。
きみが選んだ世界にひとつだけのワンピース。
これは写真を変更したモノクロ・ヴァージョンです。
カラーを作ったあとで制作しました。
でもポスターになったのはさきほどのカラーヴァージョン。
ムッチムたちはじめ、僕以外の人に公開するのはここがはじめてです。
このモノクロ・ヴァージョン、すきだったんだけどなぁ〜♬
11月のポスターをアップするのを忘れていました。
クリスマスの二人をイメージする写真を選びました。
どちらも球体がストーリーのモチーフになっています。
リボンのそれは女性の世界。
赤と緑のヴィンテージの糸は男。
今月もまた二人は自身を主張します。
ムッシムパネンのクリスマスケーキの箱に貼るシールを作りましたよ。
実際にはブラック1色ですが、いま勝手に色をつけたら…
いいんじゃなぁ〜い☆
クリスマスまで一週間。
誰かにこのシールを見てもらえたらうれしいな〜(^^)
さあみんな一緒に歌うでござんすよ〜(^^)/
『北風小僧の寒太郎 今年も町までやってきた
ヒューン ヒューン ヒュルルンルンルンルン
冬でござんす ヒュルルルルルルン
北風小僧の寒太郎 口笛吹き吹き一人旅
ヒューン ヒューン ヒュルルンルンルンルン
寒(さむ)うござんす ヒュルルルルルルン
北風小僧の寒太郎 電信柱も泣いている
ヒューン ヒューン ヒュルルンルンルンルン
雪でござんす ヒュルルルルルルン』
みんな風邪引くなよ〜(^^)