「サイゴン・タンゴ・カフェ」

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文庫本を買うとき、レジではきまって
「カヴァーをおかけしましょうか?」と親切にたずねてくれる。
僕はさからうことなく「はい、かけてください」と返すことにしている。

しかしいざ読むときになるとそのカヴァーも書籍のカヴァーも外して
写真のようにヌードの状態にして読むのだ。
読む手に表紙がめくれたりしてからまないからという理由もあるが、
こうするとなんの個性もないただ一冊の文庫本として存在するのが
僕には心地いいのだ。それにシンプルでこうして目にしても美しいから。

4月2日、本屋さんでタイトルに惹かれて買った文庫本が
この「サイゴン・タンゴ・カフェ」だった。

著者は中山可穂。
収録作品は「現実との三分間」「フーガと神秘」「ドブレAの悲しみ」
「バンドネオンを弾く女」「サイゴン・タンゴ・カフェ」の五編。

最初の二編をホテルAのバーと、ホテルBのラウンジで読み、
残りの三編をいつもの川岸で日焼けしながら読み終えた。

「サイゴン・タンゴ・カフェ」は途中からページをめくるのが惜しいほどで
僕の手が何度も止まった。止めたというのが正解だろう。
内容は書くととまらないのでやめることにする。
読み終えて本を閉じることが出来ずにいたら
それまで瞼の際でとどまっていた涙が静かに細くこぼれてきた。

「この作品に出会えてよかった」
しばし感慨に耽っている僕をからかうかのように、
川下から低音がみごとにカットされたエレクトロな音が耳に届いてきた。
その音はテントを張った花見客のサウンドシステムからのものだった。
このテントは昨年も同じ場所で見かけたことがあるのを思い出した僕は、
一気に現実に引き戻され、つい小さな笑いがこぼれた。

みんないまを思いおもいに自由にたのしんでいるのだ。

最高気温が20度を超えた火曜日のその日、
午後3時を過ぎた太陽はこの川岸に向けて
ほぼ正面から斜めに大きな陰を付け始めてきた。
僕は25年近く愛用している大きなカモフラージュのシートをたたみ
スニーカーを履き直して満開を迎えていたサクラ咲くその川岸を後にした。

作品の詳細 →GO 「角川書店」

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