「男と女」Un homme et une femme / ムッシムパネンのポスターVol.6

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ようやくVol.6ができています。
先週末からムッシムパネンのカフェの壁面に貼ってありますよ。

上が彼です。
『きみは音をすべて脱ぎ去った花火』だと言っています。
どんなときにそう感じるのでしょうか。
彼女の何気ない仕草、表情、言葉の断片などから感じるのでしょうか。
音のしない花火だなんて遠く離れた場所でみているようにも感じます。
彼は彼女に対して精神的な距離を感じているとは思いたくはないのですが。

そんな彼女は『それは外すときがいちばんセクシー』だと。
自分自身のことを、あるいは同性だからこその鋭利な視点なのでしょうか。
「2枚とも男性から女性に対する表現みたい」って、おKさん。
たしかにそうですね。

じつは僕の知る素敵な一人の女性が、女性のその仕草について
同じようなことを言ったのを覚えているのです。
外すのは写真のようなアクセサリーであったり、メイクであったり、
あるいは下着かもしれません。さらには日常や常識かもしれませんね。
だからそのセクシーさとは、彼女自身(女性)に対しての思いなのです。

さて女性はどう感じられるのでしょうか。

それは7月の最後の日にはじまり、8月の最初の日に繋がっていった

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 昨夜、僕はひとりの女性と出会った。彼女をYとしておく。女子校に通う3年生のYはイベントの会場となるこのリゾートホテルにリハーサルを兼ねた打ち合わせにきていた。ふとしたなりゆきで僕もその打ち合わせに出席していたのだ。さらになぜだかYのことがスキだという僕の知り合いのオトコも来ていた。僕ははじめからいつもと違った落ち着きのない感情を抱いていた。

 そのイベントを主催するのは僕が行きつけの美容室だった。全国にもセンス、技術ともに広く知られ美容業界から高く評価されているそのサロンにはたくさんの知り合いがいる。じつは数日前にそのサロンの女性スタッフXから「土居さん、じつは会わせたい女性がいるんです。でも彼女はまだ女子高生なんですよね。でもきっと話しが合うと思うんです。今度会うから土居さんのことを言っておきますね」と耳打ちされていた。Xとは知り合って5年くらいになり、Xと知り合った当時、僕は彼女とふたりだけで何度か会っている。だから僕の性格やスキになる女性のタイプなどはおおよそ知っている。だから今回のことはまんざらでもないだろうと僕は少し期待したのだ。

 Yは会場に制服でやってきていた。当然と言えば当然なのだが、夏休みでありしかも夜であるというのになぜ制服だったのかはわからない。イベントでは6人の女性チームでダンサーとして参加するという。ショートヘアで薄いメイクのYは身長は160cmと少しくらい。夏だというのに日焼けはしてなかった。紺色のミニスカートから延びた足はきれいですらっとしていた。腰を左右に揺らせながら歩く姿がリズミカルだった。チームの女子校生らと絶えず冗談やらどうでもいいことを話して騒いでいたが、Yだけは同じように騒いではいても、その集団の中でどこか冷めているように見えた。さらに幼い表情とドキッとする大人の表情が入り混ざった魅力を放っていた。瞳は薄く濡れていた。あとから思い出したのだが、Yは僕が一度目に離婚した直後に付き合った女性にどことなく似ていた。

 リハーサルが始まり、僕はその様子をステージの袖で見ていた。やがてYらの出番が回ってきた。ほんの5分足らずでダンスのリハは終わった。Yはひとり仲間と反対の僕のいる袖の方へと、はけてきた。僕とYは自然に目が合った。お互いに笑顔を交わしごく自然にそのまま話をした。「かっこよかったよ」と僕はYに告げた。「ありがとうございま〜す」と語尾を少し延ばした言い方でいたずらな笑顔でYは僕に軽く礼をした。それは女子高生にしか許されない特権のような仕草だった。だから僕は一瞬にして緊張を解き放つことができた。少なくとも大人の僕としては。ステージでは次のリハーサルがあるため僕らのいる袖が賑やかになってきた。僕らは楽屋の方へ移動することにした。するとYが「外にでませんか」と僕に言った。すぐさま「いいね」と僕は彼女の手を取った。

 このリゾートホテルは海辺にあった。広島市から東に位置し、新幹線が停まるFという街に位置する。僕は過去に取材やプライベートでここへ何度か来ていた。手を取り合ったままの僕らは誰にも告げることなくそのままホテルを出た。リハが行われている会場に背を向け歩き、暗いビーチに腰を下ろした。周囲には人影はなかった。Yが通う高校も住んでいる街も広島市内だっだ。友人はたくさんいるらしいけど、「ときどきかったるくなるし、それに友達がうざくなるの。でも仲のいい友達だよ」。話しをするうちにわかったのだが、Yは僕を広島市内でなんどか見ていたという。僕は初対面だった。僕はYのお父さんより遥かに年齢が上であることははじめから認識しているのだが、しかし会話が弾むにつれそんなことはアタマのどこにもなかったし、どうでもいいと思った。そう思わせてくれ、加速させてくれたのはYだったのだと思う。さらに僕らは“いま”を共有しているのだ。過去や未来じゃなく“いま”しかいない。この“いま”は未来に続いているけど、口にするまでもなく「そんなのカンケイないね。どうでもいい」というのがふたりの一致した思いだった。しかしそんなことに嬉々としている僕は不埒なオトコだといわれてもどうしようもないことは、これまでの人生で周囲から散々言われ続けてきたことだ。

 Yはいきなり立ち上がり僕にダンスしようと言った。僕もノリで「いいね。教えて」と、薄暗いビーチで腰を上げた。ここでマジで言うのがちょっと恥ずかしいのだけど、じつは僕は三年ほど前にハウスのダンススクールに通ったことがある。そのときも女性に誘われたからだ。その女性にも僕は少し惹かれていた。Yが歌いながら腰を左右に揺らせ踊り始めた。そして「土居さんもほらこうして」とそのダンスに率いれた。いや、待っている僕をやさしく率いれてくれたというのが正しいかもしれない。汗が滴り落ちた。僕らの距離が近づいた。ふたりは近づいた。それも一瞬で。どれほどの時間がたったのだろうか。僕らは正確には思い出せないのだ。ほんとうに。

 僕らはホテルに戻った。リハールや打ち合わせもすでに終わっているようだった。すると主催者、関係者、Yのチームのダンサー、20代前半の男らを交え、僕らのことで話し合っていた。みんなの表情からは笑顔が消えて緊張感が漂っていた。彼らから具体的なことを言われなくても、その重い空気から重大なことに陥ったということはすぐに察知できた。避けては通れない現実が目の前にあった。その集団の中に入ろうとする前にYは「わたしたちのいまのそのまんまでいきましょう。あぁあ〜」と半分ふてくされて僕の耳元で告げた。「おお、そうしよう」と僕もYに返した。卑怯かもしれないがYが先に口にしてくれたことが僕はことのほかうれしかった。もういちどみんなの前でYを強く抱きしめたかった。このとき、おおげさではあるがふたりは共に覚悟を抱いた同士でもあるように感じた。でも後になってから聞いたことなのだが、Yからすればそれほど特別なことじゃないらしい。僕は笑いがこみ上げてきた。

 何かが始まるときはこんなものなのだろう。それに理屈や理由をつけるうちはまだまだ本物じゃない。あるいは吹っ切れていない、突き抜けていない。僕はYとの関係に社会的責任を負う立場である。しかしそれがいったい僕らに何の関係があるというのだろう。当然ながら僕はそれを負うことぐらいは承知だ。はじまったものは止まらない。止める理由がないのだ。そう思えるのもいまが夏だから。そうしておく。だってたのしいじゃな

6月のポスターの世界、「Voyage」が登場

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ムッシムパネン6月のポスターイメージのケーキが出来ました。

今日から登場した「Voyage」をお店で食べてきましたよ。
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アーモンドとコーヒー豆で食感を出したチョコレート生地に、コーヒー風味のクリームとライチとトンカ豆をきかせたムース。鮮やかなブルーキュラソーのジュレをのせました。450円。
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この写真は中身がわかりやすくするため予めカットした状態です。
先週試作したのに比べてぐんと美味しくなってました。
もうそれはそれは自信を持ってお勧めします。
味は説明と写真で想像してお店で確かめてくださいね。
たぶん明日か明後日に登場する「Voyage」は
ライチの味がもっと鮮明になるそうです。たのしみですね。
先月の「Cinema」はいまなお好評とのこと。うれしいなぁ。
グリオットチェリーがあるうちは店頭に並ぶそうです。
まるで僕は広報マンみたい…違いますから〜(笑)

なおこのポスターシリーズのケーキは
最初に僕がポスターを制作(写真とコピー)して
ムッチム(川本俊介)がそのイメージのケーキを作り、
最後に僕がネーミングしてフライヤーにするというものです。
従来のケーキ作りにはなかったまったく新しい世界です。
一ヶ月に一度、ふたりのコラボレーションでもありバトルなんですよ。
緊張感がたまりません。
7月のポスターイメージは既に(アタマのなかに)できています〜(^^)/
でも制作を始めたらきっとかわっていく〜♪

コーヒーはジェシーのガスステーションで

今夜ジェシー・ハリスのライブを見て来た。
帰り道、家の近所にできた友人がオーナーのイタリアレストランに立ち寄った。
いま歩道に面したテラスで書きはじめている。

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北米大陸のどこまでもまっすぐ延びたハイウェイ。
遅い午後、一台のライトブルーのセダンが西へ向かっていた。

スピードメーターはずっと55mphをキープしたままだ。
車内のFMカーラジオからは、時折気の利いたジョークを交えながら
知的な女性DJの声とともに乾いた音楽が緩やかに流れている。
昼近くになって道路沿いのモーテルを出てこの時間まですれ違ったのは
16輪を持つトラックと黒いエルカミーノ。
それに原型をとどめていないほどにカスタムが施された
ハーレーダビットソンだけだった。

彼は今日二本目のタバコに火をつけた。
コーヒーは80マイル先にあるジェシーのガスステーションで。

バックミラーにはグレーの雲が迫ってきていた。
雨に飲み込まれる前までにはジェシーの店のカウンターで、
熱いコーヒーにたどり着きたい。
彼は少しだけアクセルペダルを踏み込んだ。
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僕はそんな自由な想像とともに90分ほどのライブを楽しんだ。
そしていま今夜二杯目のエスプレッソにようやくたどり着いた。

(僕のフェイスブックより転載)

MOTTO PARCO MOTTO JIBUN

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2001年8月6日午後5時頃。(撮影データによるもの)
覚えていますか?この日の広島を。
広島市は平和記念式典が行われていた日です。

この日、ブルーとホワイトのタクシーは
8月21日金曜日にオープンする広島パルコ新館のプロモーションで起用され、
10台くらいだったかな?正確な台数は忘れてしまったけど
オープンまで(もしかしてそれからも)MOTTO PARCOのタクシーが
市内を走り続けました。
なおこのプロモーションは福島出身のクリエイティブディレクターである、
箭内道彦さんが手がけられていました。

「やっぱりパルコはかっこいいな」って思ったのは
けっして僕だけじゃないと思います。
(10年以上前のことなので記憶が曖昧のまま書いています)

なぜこの話題をここで紹介したかというと
今夜既にアップしたこのニュースを目にしたからなのです。

フェイスブックにアップしたテキストを紹介しますね。

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今日は早い時間から『Jフロントがパルコ株をTOBへ 子会社化目指し』というニュースがネット上を駆け回っていた。もし実行されたら、これを機に『もっとパルコ』らしくあってほしい。僕は覚えてるよ、10年前のあの『MOTTO PARCO』の感動を。ありがとう、パルコ!がんばれ、パルコ!!
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だからと言ってパルコが消滅するんじゃないですよ(笑)。
まだ決まった訳じゃないけど新しいパルコがスタートするのです。
僕はいま時代の波を感じています。

人が街を作ります。
そしてパルコも広島の街を創ってくれました。
そうそう、自然も街を創ってくれますね。
忘れちゃいけない。これは大事でしたね。

いま僕らが生きている日本の社会は
とても厳しい環境に立たされています。
でも嘆くばかりじゃ何も始まらない。
こうした時代にみんな巡りあってしまったのです。
原因はさておき、悔しいけどそうとしか言いようがありません。

だけど厳しいことばかりじゃないのが人生なのです(よ)ね。
梅雨の雨音に音楽を感じたり。
道ばたに咲く名も知らない花に美をもらったり。
久しぶりに会った友達の笑顔に元気をもらったり。
自分らしい仕事ができたり。
このブログにコメントもらったり、
フェイスブックで笑ったり、「いいね!」をもらったり。

なにげないことについキモチが薄らいでいる自分です。
当たり前のことが当たり前にできていない自分です。
すぐ目の前、身の回りに大切なことがあることを
いま改めて疎かにしないようにと気を引き締めます。

そしていまを自分らしく一生懸命生きていよう。
いい加減と思われるかもしれないけど、
先のことはそのときになってから。

みんなの明日が少しでもいいから夢と希望に抱かれていますように。
もっと人間らしく。
MOTTO MOTTO